病んでるけど物や人にあたるタイプではない人のしがちな行動

意味もなく淀んでいて意味もなく鬱屈な生活をしばらく続けると人は「ブログでも書こう」なんて思うわけです。


"ブログ はじめる"なんかでインターネット検索すると、別に誰に見せるわけでもないのに「日記ブログはネットのゴミ!」「お前になんて誰も興味ない!」なんて始める前から投擲槍を投げられまくりました。わーかっとるわい。
ぬいぐるみに話しかけるしかない孤独な夜が誰の人生にもあるはずなのだから野暮なこと言うのは止めましょう。


誰にあてるわけでもなくしたためた手紙を空き瓶に入れてインターネットの海原へ流していくこの行為はよほど暇で孤独で参っている人間の行いなわけですが、今のご時世こんな人間が多くいることが想像に難くないです。それがいたたまれないような救いなような。


ここまで参ってしまっているのは何もかもが恐いから。何もかもが恐い。恐ろしい。
漠然とした不安、空しさ。即ち虚無。
虚無は強い。

虚無に囚われてる人は慢性的に満足が足りていないのです。
支援者/理解者の不足、孤独、無趣味、無興味、無欲。こういったことがただでさえ強い虚無をより強大にしてしまう。

これだけ強く大きくなってしまった虚無に打ち勝つことなど、不可能ではなかろうか。
でも、何とか負けたくない。


そんなことばかり、書いていくのだと思う。